2003/7/28

岩佐鶴丈 作品集
     
  

 
      
              

 知 盛 −知章最後よりー 
           岩佐鶴丈 編曲・作曲
平家の棟梁・清盛亡き後、知盛(清盛の第三男)は軍事面での実質的な総大将であった。しかし、一の谷の合戦で、海上に逃れようとしたところを源氏の児玉党に襲われ、あやうく討ち取られようとした時、息子の知章に助けられ辛うじて、戦場から逃げ延びたが、知章と家来の監物太郎は、その場で討死した。我が子に犠牲を強いて落ち延びた知盛は、兄の宗盛にその苦しい胸の内を涙ながらに告白する。
 
 能管と琵琶のための「小枝」 
        松田弘之・岩佐鶴丈 作曲
敦盛の首を討った熊谷直実は、敦盛の腰にさしてある一管の笛を見つけ、その暁の陣中に聞こえた、管弦の笛の音の主であることを知る。笛は、敦盛の祖父、忠盛が鳥羽院より賜った名笛「小枝」であった。直実の出家の心は、この時におこったと伝えている。この曲は、「小枝」の物語をイメージして作曲したもの。
 
1999年11月「美しき修羅」 岩佐鶴丈琵琶演奏会にて初演
 
    
 
         
* 実 盛 「平家物語による」
     笠井賢一 作詞 ・岩佐鶴丈 作曲 
斎藤別当実盛は、「平家物語」のなかでも異彩を放つ魅力的な人物として描かれています。
平家滅亡より三百年後、元禄二年、芭蕉は「奥の細道」の旅で小松の多太神社に納められている兜を見て、『あらむざんやな 兜の下のほととぎす』と詠みました。この作品はこの俳句からはじまります。・・・・・
 
1999年12月 国立小劇場にて
第18回花柳昌三郎舞踊公演のために作曲初演
 
「今昔物語」 蝉 丸 〜秘曲譲り〜
    椎名桂子 編詞・ 岩佐鶴丈作曲
源三位博雅は、盲目となり逢坂の関に隠れ住む琵琶の名手・蝉丸の元に文を使わせ、都に出て幻の秘曲「流泉・啄木」を教えて欲しいと願いますが断られてしまいます。そこで博雅は、毎夜逢坂の関に通い、蝉丸の隠れ家の外で秘曲を弾くのを待ちますが、今か今かと思ううち、はや三年がたってしまいます。その三年目の秋の月の夜、博雅はとうとう名乗り出ますがそしてゆるされ秘曲伝授されるという物語です。
 
* 耳きれ芳一 
     〈琵琶ノ秘曲幽霊ヲ泣カシム〉より
    岩佐鶴丈 編詞・作曲
琵琶を聞いた事がなくても「耳なし芳一」の話なら知っていると言うほど有名ですが、この作者・小泉八雲(ラフカデォ・カーン)が基とした話が、一夕散人の編者「臥遊奇談」巻之二の「琵琶秘曲幽霊ヲ泣カシム」(1667年)です。原話文末の「耳きれ芳一」を題名としています。
平成13年10月、国立劇場 邦楽鑑賞会「琵琶の会」においての演奏は大好評でした。
 
2000年11月「月下琵琶幻想U」岩佐鶴丈琵琶演奏会にて初演
 
 
 
* 西 行
      笠井賢一 作詞・ 岩佐鶴丈 作曲
平清盛と同年の生まれで、北面の武士の出自を持つ西行は、保元の乱、平治の乱、そして源平の内戦という有為転変の激動の時代を見据え、生きた遁世の人でした。
世を捨てた西行が、唯一歌を捨てず詠み続けたのは「一首詠みいだいては一体の仏像を造る思いをなしたるゆえなり」との思いからであったといいます。その西行が一方で桜を詠み続け、「願わくは 花のしたにて 春死なむ その如月の 望月のころ」という自らの和歌のままに往生を遂げました。
 
2001年10月 国立小劇場にて
第20回花柳昌三郎舞踊公演のため作曲・初演 
 
 
 
 
 
 
* 分福茶釜
     飯田胡春 作詞・岩佐鶴丈編集作曲
昔々、群馬県館林市茂林寺に代々仕えていた守鶴和尚が、千人法会の為に一つの茶釜を何処からか持って来ました。ビックリしたことに、この茶釜はいくら湯を汲んでも、湯が無くなることがありませんでした。この不思議な茶釜を自ら紫金銅分福茶釜と名付けました。(分福とは福を分けるという意味です。)
 その後、守鶴和尚は百六十一年も茂林寺におりましたが、天正十五年〈1587年)突然寺を去って行方が判らなくなったそうです。後世、この守鶴和尚を狸の化身と伝えるものがあり、現在のお伽噺となりました。
 
2002年10月 若柳雅康 サロン ド 雅康にて


2003年7月現在

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